イングリッシュ・ローズの生みの親 デビッド・オースチン物語Ⅲ
前回まで、20 世紀のデビッド・オースチンの歩みを紹介しましたが、最終回は21世紀、2000 年からの約20年間をご紹介していきたいと思います。
21 世紀の世の中を象徴するような事象といえば、情報化社会、つまりインターネット化の時代の到来ではないでしょうか。
デビッド・オースチンの品種の広まりも、それ以前は、チェルシー・フラワー・ショーや、イギリスの園芸文化の広がりなど、さまざまな要素が多分にからんで、奇跡的に世界中に広まってきましたが、21世紀インターネット社会を迎えると、パソコンがあれば、世界中に情報が瞬時に広がる時代になり、イングリッシュ・ローズの広がりも、速度を加速させていきます。
会社も世界的な広がりを見せ、米国オフィスや日本オフィスなど、本国でのビジネスのみならず、世界中での人気拡大に対応していきました。1990年代に初めて本社を訪れた際は、簡素なオフィスでしたが、現在は、立派なオフィスでビジネス・オペレーションが行われ、その変容ぶりに感慨深い想いになります。
しかし、育種改良に資するガーデンへのこだわりは、わたしが最初に見た90年代のそれとまったく変わりがありません。もちろん新しいエリアも増えてはいますが、世界中からの愛好家を今も、魅了し続けています。そして、当然のことながら21世紀に入っても、オースチン氏の育種への情熱はとどまることなく、それまでに培われてきた品種や人材などに助けられ、気がつけば、世界でも類をみないほどの育種プログラムを作り上げてきました。
世界で最も大きな育種プログラムであるにも関わらず、近年は、年間で世に出す品種が最も少ないレベルの育種家であることからしても、異常なまでの育種へのこだわりが、このところますます強くなっているのがわかります。そのために今や、多くのデビッド・オースチンの代表的品種ともいえる多くの品種が2000年代に入ってから生み出されています。
2000年代にはハーロウ・カーやムンステッド・ウッド、エリザベス女王在位50年を記念して名づけられたジュビリー・セレブレーションなどが発表され、今も世界中のバラ愛好家から高い評価を得ています。そう考えてみると、オースチン氏の育種の歴史はほぼエリザベス女王の在位期間ともシンクロしています。
デビッド・オースチンの育種家としての功績を考える上で非常に重要なことがあります。それは、2000年から2020 年までで、育種家としてのキャリアが60年という年数に到達したという事実です。
事実上、例外を除いて、バラに限らず植物の育種はほぼ1年で1回のチャンスを生かしていくしかありません。しかも、植物はその新しくできた品種を評価するのに、少なくとも数年を要します。デビッド・オースチンの場合は新品種誕生から10 年近くの評価期間を経て世に出すわけです。
キャリアの長さが育種品種のクオリティーに直結するとは断言できませんが、キャリアが長ければ長いほど理想とする品種にすくなくとも近づけることは事実といえます、その亀のような歩みをコツコツと60年間も続けてきたことこそ、デビッド・オースチン氏の最も大きな功績ともいえるのではないかと私は思います。
この「歴史」ともいえる長年の功績に大きく関係してくることですが、デビッド・CH・オースチン氏にとって最後の 2010 年代に最も特筆すべきは、オースチン氏の孫のリチャード・オースチンがファミリーの仕事に深く携わることになったことでしょう。
前述したように育種という作業は途方もない時間と手間がかかる作業です。おそらく、オースチン氏の心の中にはまだまだこれからの時代で新しく生み出したかった品種のイメージがたくさんあったのではないかと思います。そのイメージを実現するのには悲しいかな、人間として100%避けることができない「寿命」が障壁となって立ちはだかりました。
長年にわたっていっしよに仕事を続けてきた息子のデビッド・JC・オースチン氏にその意思を確実にバトンタッチでき、さらに生まれてから今までをオースチン氏と過ごしてきた、孫のリチャード・オースチンが後に続くという状況ができているということは、亡くなったオースチン氏にとって、非常に幸せな状態であり、本当に稀なこれ以上の幸せはない状況を自らの目で確認できた状態で、オースチン氏は人生の最後を迎えることができたのではないかと思うのです。
イギリス、シュロップシャーの農場で行われていくこれからの育種を、きっとオースチン氏は天国から目を細めて眺めているにちがいありません。 デビッド・CH ・オースチン氏の人生は、育種家としてこれ以上ないほどの成功を収め、しかも自分の夢を受け継ぐ3代にもわたる家族とスタッフに生前から恵まれ、バラ育種家のみならず、人生としてこれ以上ない幸せに恵まれた生涯だったといえると思います。
そして、何よりも亡くなってからもそれぞれのいろいろな国の愛好家の方々が、それぞれの好きなバラの花を見るとオースチン氏の面影をいつでも思い出してくださる。世界中を見回しても類を見ないそんな素敵な方と、すこしだけでも一緒にお仕事をさせていただけたことに、私自身もオースチン氏に深く感謝をしている次第です。この私の氏への感謝をもって、3回のシリーズを終えたいと思います。本当にありがとうございました。