ネペンテスに初めて出会ったのは、ハエトリソウに出会ったのと同じ年の夏。今から14年前のことでした。
あの日は、まさに食虫植物日和といった天気のよい日で、朝だというのに汗がにじむ蒸し暑さでした。食虫植物の展示を見るために、東京都夢の島熱帯植物館の開園の列に並んでいました。
開園と同時に、食虫植物マニアが走る中、わけもわからずに目にしたのは、見事な食虫植物の展示販売品の数々。その中でも、ひときわ目を引いたのが、大きなネペンテス・ダイエリアナの株でした。
一つの株に、20センチ以上の大きな捕虫袋が5、6個鈴なりにぶら下がり、その袋の形は、これまで私が植物に持っていた既成概念をひっくり返してしまうほど、ユニークなものでした。袋は縦に長く、袋の口は、古い時代の貴族のひだ襟の形に似て、外側に押し広がって波打ち、袋全体は赤と黄色のまだら模様をしていました。あまりにも前衛的な形のネペンテスの鉢植えに、すっかり心を奪われていたのでした。
ネペンテスとはつる性で、葉の先が変形して袋状になり、その袋の中には消化液がたまり、落ちた虫を溶かして食べてしまう食虫植物の仲間です。原種はおよそ70種あり、主に東南アジアに分布し、特にボルネオ島に多くの種が自生しています。和名をウツボカズラといい、矢を入れておくための筒状の容れ物「靭(うつぼ)」に由来します。種類によって、袋の形や袋の入り口の形、模様に変異があり、それぞれに違った魅力を持っています。そのため、数多くの園芸品種が作出されていて、前述のダイエリアナも園芸品種です。
こんなにも魅力的なネペンテスが、野生の状態でどんな風に生えているのか気になってたまらず、いつか行ってみたいと思っていました。
それが、昨年(2018)知人にお誘いいただき、ネペンテスを見にボルネオ島に行くことになったのです。まさか、十数年の年月を経て、希望が叶うとは思いませんでした。しかも、その場所は、ネペンテスの自生地として有名なキナバル山ではなく、マリアウベイスン(盆地)。サバ州のロストワールドと呼ばれる、面積588㎡に及ぶ自然保護地域です。貧栄養の泥炭湿地と熱帯ヒース林から成る盆地で、まさに、貧栄養の地を好む食虫植物が育つのにうってつけの環境です。ただし、交通の便が悪く、急峻な崖があるため、1日かけて歩いて中に入る必要があるとのことでした。
はじめて野生のネペンテスを見に、はじめての外国登山で、はじめての秘境に入り、はじめて山小屋に泊まるという、はじめて尽くしの旅で、緊張したものの、野生のネペンテスに会いたい一心で向かいました。
コタキナバル空港から、ケニンガウを経由して、アブラヤシ農場用に整備された林道を車でひた走り、林道終点にあるロッジ(スタディーセンター)に1泊してから、森の中へと入りました。
森の入り口は薄暗く、足元には腐葉土が厚く積もって、踏めばぬかるむ状態でした。とにかく急峻な崖が続き、毛細血管のように走る巨大な木の根っこを乗り越え、登り続けると、息があがってきます。湿度は高く、空気がぬめっているようで、肌にまとわりつき、汗が止まりません。この登山のために、筋トレと国内で登山の練習をしていたのですが、それをしていなければ、途中でばてていたかもしれません。また、途中金はしごが4箇所かかり、そのうちの一つは、十メートル近くあり、二つのはしごを繋いでありました。高所恐怖症の私には大変な試練でした。そんな困難な道のりの途中に、ネペンテス・レインワールドティアナの枯れた袋を見つけました。いよいよ野生のネペンテスを見られるのだと、苦しさが晴れ、胸が高鳴ったのを覚えています。
ところで、マリアウベイスンには食虫植物だけではなく、多くの野生動物が暮らし、ボルネオゾウ、マレーグマやマレージャコウネコ、サイチョウなども見られます。ベンガルヤマネコとヒヨケザルとムササビを見ることができました。最も多く見たものといえば、ヒルです。タイガーリーチという三色のヒルと、赤いヒルの二種類で、チンアナゴかムーミンに出てくるニョロニョロのように、落ち葉が積もった地面から目視できるほど、大量にうねっていたのです。初めての海外登山で、ヒルの洗礼も受けることになりました。
さて、肝心のネペンテス。必死の思いで、恐ろしい急斜面を登り降りする中で、ヒルスタ、レインワールドティアナ、ステノフィラを、次々に見ることができました。中にある山小屋(ネペンテス・キャンプ)に一泊し、翌日は、この旅の目的のヴィーチの大群落地へ。
ヴィーチの大群落地は、他の種類が生えていた場所より木がまばらで開け、日当たりがよく、地面は硅砂で白く見えました。まず目に入ったのは、木にぐるぐると巻きつき、大きな袋を大量にぶら下げたヴィーチの株。「木登りヴィーチ」です。上へ上へとつるを伸ばしていて、高いものだと4メートルほどの高さになっていました。一つ目を見つけたのを契機に、ヴィーチに囲まれていることに気づきました。360度どこを向いてもヴィーチ。あっちを見てもヴィーチ、こっちを見てもヴィーチといった具合で、喜びのあまり半狂乱になります。あまりにも立派で、がっしりとした葉、自分の顔ほどある大きな捕虫袋、株の締まり具合、袋の艶に感動し、夢中で写真を撮りました。しかも、同じ場所に生えるヴィーチに変異があり、さまざまなタイプが同じ地域に生えているのが、また素晴らしいです。ここにもヒルが多くいたのですが、ヴィーチの見事さに、ヒルの存在すら忘れました。野生のネペンテスは、あまりにも生き生きとし、圧倒的な存在感を放っているのです。この気高さ、オーラ、思わず、祈りを捧げ、ひれ伏したくなります。神秘に出会ってしまったのです。
木谷美咲(きや みさき)
1978年東京都生まれ。食虫植物愛好家、文筆家。執筆活動のほか、テレビやラジオへの出演、講演会などを通じて、食虫植物の魅力の紹介と普及につとめる。主な著書に『大好き、食虫植物』(星野映里名義/水曜社)、『マジカルプランツ』(山と渓谷社)、『私、食虫植物の奴隷です。』(水曜社)、『不可思議プランツ図鑑』(絵・横山拓彦/誠文堂新光社)、『官能植物』(NHK出版)など。今年春に、監修の「食虫植物の土」プロトリーフより発売予定。
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