隠岐を最初に訪れたのは、今から40年近く前、19歳の時です。自転車で、島後と呼ばれる隠岐の島をぐるっと一周しました。海がきれいなのももちろんですが、田舎道のそこここで、何匹ものマムシを見かけ、昼間だというのに、雑木(アカメガシワだったか)の幹にカブトムシが群がっていたのが記憶に残っています。
島の生態系は本土とはバランスが違い、本土ではそれほどでもないある生物種の個体数が、突出して多い傾向にあると最初に感じた瞬間でした。その後、植物写真家となってからも、何度か隠岐に渡っていますが、島後ばかりで、交通不便な島前には行く機会がありませんでした。
2016年、トウテイランは、島後より島前の西ノ島に個体数が多いと聞いて、それを見に行くツアーを組むことにしました。西ノ島は、古い火山のカルデラが入江に、外輪山が陸地になったような地形です。その岸壁に、トウテイランの群生地はありました。さらに、断崖にはダルマギクも多く、晩秋にはオキノアブラギクとも言われる野菊も咲き、野菊の種類も豊富です。しかし、それだけでなく、その外輪山がなす海岸線の美しさ、そしてその稜線にある草原のおもしろさの虜になりました。もともと、海岸の強い風と急峻な地形で形成されている自然草原を利用し、牧放と畑作を組み合わせた牧畑と呼ばれる農法で維持されてきた草原です。
初秋には、牛馬のきらうセンニンソウが、ところどころ、花嫁のテーブルのようなブーケを作り、そのなかにツユクサやヒルガオが咲いていたりします。さらに、本土では、ほとんど見かけなくなってしまった在来のオナモミがこの草原にはまだまだ豊富に残っています。在来種といえば、本土では、コセンダングサやアメリカセンダングサにすっかり駆逐されてしまった在来センダングサもこの島にはたくさん残っています。
ふと、ノコンギクがこの島にもないのに気がつきました。かわりに、オオユウガギクとタマバシロヨメナはたくさん咲いています。ノコンギクは帰化植物ではありませんが、日本列島のどこかでヨメナの仲間とシロヨメナの仲間の交雑に起因して生まれた比較的新しい種であることは定説化しています。
ここからは私見ですが、ひょっとすると、ノコンギクの生まれる前の日本列島の植生が、この島に残っていると考えることができるのかもしれません。
撮影・文 いがりまさし
◎隠岐・西ノ島(島根県隠岐郡西ノ島町)へのアクセス
島根県七類港または鳥取県境港から、高速船またはフェリーで西ノ島町別府港へ
時刻等詳細は隠岐汽船㈱http://www.oki-kisen.co.jp/
いがりまさし
(植物写真家、ミュージシャン)
1960年愛知県豊橋市生まれ。関西学院大学文学部美学科中退。前後して、自転車で「日本一周笛吹行脚」。その後、リコーダーを神谷徹氏に師事。25歳の時、冨成忠夫氏の作品に出会い植物写真を志す。
印刷会社のカメラマンを経て1991年独立。写真家、植物研究家として、幅広いメディアに出稿活動を展開。2009年ごろより音楽活動を再開。
自然と伝承音楽をお手本に、映像と音楽で紡ぐ自然からのメッセージを伝える活動を全国で展開中。主な著書に、『日本のスミレ』『日本の野菊』(以上、山と渓谷社)、『きせつのくさばな100』など多数。音楽CDに「名もなき旋律」など。