カイロへ
エジプト植物紀行の最終地は首都カイロである。カイロはアラビア語でアル・カーヒラといい、今やアラブ世界で最も人口の多い都市(市域で965万人)である。エジプトはナイル河谷地方の上エジプトとデルタ地方の下エジプトとに古代エジプト以降、二分化されてきた。その上エジプトと下エジプトの接点にカイロは位置しており、エジプトの文化や歴史が混じり合う首都なのだ。
カイロといえば、一般的はピラミッドとスフィンクスである。しかし、あの大きなピラミッドの周辺にはきっとなんかしらの植物が生えているのではないか? と疑問をもっていた。前回のナイル川同様、ギザの大ピラミッド周辺の植物の情報はまったくなく、これも自分の目で確認してみたいと、エジプトへの出発前から強く思っていた。
アスワンからカイロはツアーバスで長丁場を移動、ツアー終盤ともあり、みんな少し疲れ気味であった。僕も日々の興奮のせいか、知らぬ間に眠りについてしまったようだ。目が覚めたのはカイロ市内に入った瞬間、ツアーガイドのあまりに大きすぎる声で驚いて目が覚めた。砂ぼこりでかすむ中、かすかに見える四角錐。ガイドが、あれが有名なギザの大ピラミッドだと教えてくれた。寝起きと疲れのせいか、正直なところ思ったより強い感動は生まれなかった。カイロの近代的な街並みと同時に現れたからかもしれない。もう少しもったいぶって現れてもいいのに……。その日の夜は、ホテルの部屋で、これまでエジプトで見た植物を調べたり、最上階の部屋からカイロの街並みを眺めながら旅の終盤を楽しんでいた。
ピラミッドより植物
次の日の朝、目覚めもよく、食欲も自分でも驚くほどあった。今日はいよいよギザのピラミッドである。小学生の頃から憧れでもあったピラミッドが間近で見られると思うと、旅の疲れも吹っ飛び、ワクワクドキドキで胸はいっぱいだった。そして、果たしてピラミッドの足元に私が期待する植物たちはいるのだろか?
ツアーバスでギザの大ピラミッドに向かった。道はかなり混んでいたが約30分で到着した。僕は真っ先にピラミッドの足元の瓦礫に向かった。バスから降りたメンバーはみなピラミッドを撮影したり、記念撮影をしていたのではないかと思う。よく目を凝らして見ると、やはり植物があるではないか! 僕にとってはかなりの感動だった! そして、その瞬間からピラミッドはもうどうでもよくなっていた。
よく観察してみると、葉は互生で掌状浅裂である、これは恐らくアオイ科ゼニアオイ属の植物ではないかと絞り込んだ、日本でよく見る帰化植物のゼニアオイ属(Malva)ゼニバアオイ、ウサギアオイ、ナガエアオイの仲間だろうか? 分布的にもユーラシア大陸を原産とし世界中にはこの属だけで30種類以上もあるのだ。この仲間は有用的にも歴史がある植物群で、古代ローマ時代の詩人でもあるホラティウスはこんな歌を残している 。「私にとって、オリーブ、エンダイブ、アオイは、栄養源である」。また古代のエピグラム(詩)には、古代人の墓の上にアオイが植えられるとある。これは、死者がアオイのような完璧な植物を食べることができるようにと願いが込められていたそうだ。これを知って、これは単なる帰化ではなく、人間がこういった有用性を求めて古代に植えていたのではないだろか? 考えれば考えるほど夢は底なし沼にズボズボと入っていく。いずれにせよ、この花が咲く頃に、この地でもう一度しっかり種を確かめたいものである。
その他にもさらに目を凝らしてみると、カラクサナズナの隣にニシキソウ属Chamaesyceの仲間も生えていた、やはりここにも居たかといろんな意味でため息が出た。僕はこの植物との付き合いにどれだけ時間を費やしたかわからない。この植物と付き合うと、気づけば平気で2時間、3時間経つ恐ろしい植物である。日本でも、アレチニシキソウ、ニシキソウ、ハイニシキソウ、コニシキソウと生えており、種を正確に識別するには、果実の稜の毛や腺体の付属体の大きさをルーペなどで覗きこみ、細かく細かく見ていくしかない。以前、ギリシャのサントリー島のお洒落な路地で出会ったニシキソウの仲間も、未だに解決出来ておらず、これを世界中で見るたびに見て見ぬふりをしてしまいたくなるほどである。このピラミッドの足元にしぶとくしがみつくニシキソウ属は、果実や付属体は見ていないが、パッと見た感じ、葉の形状や茎の毛などから、コバノニシキソウEuphorbia makinoi HayataとハイニシキソウEuphorbia prostrata Aitonのような気がする。せっかくのギザに来たのに、ピラミッドはそっちのけで、この事で頭が埋め尽くされてしまった。
パピルスのこと
クフ王のピラミッドの見学も終わり、帰りに古代エジプトから伝わるパピルス紙のお店に入ることになった。パピルスと言えば、カヤツリグサ科のカミガヤツリCyperus papyrusの繊維でつくったパピルス紙を示す。英語のpaperやフランス語のpapierなどの語源もパピルスに由来しており、古代エジプトにおいては、前3000年頃からカミガヤツリの繊維を利用して紙をつくることが始まったとされている。
つくり方としては隣で見ていて日本のミツマタやガンピに比べて至ってシンプルな行程に感じた。まずパピルスの茎の表皮を裂いて細長い薄片にし、それを水で濡らした板の上に縦横に並べて重ね、上から金物でたたくなりして、圧縮し水分をしっかり抜く。さらに1枚ごと天日で干し、最後の仕上げに象牙や貝殻でこすってすべすべにするとパピルス紙の完成である。こうしてつくられるパピルスには、墓にミイラとともに納められる死者の書に用いられ、ヒエログリフが書き記された。古来から、聖なる紙で現在に至っても高級な紙とされている。
またカミガヤツリは有用植物としても古代エジプトを支えてきた。このカミガヤツリの上質な繊維はロープにしたり、サンダルなどにしたりと暮らしの中では欠かせない植物でもあった。茎の下部は火にあぶり、筍のようにして食べると絶品だったそうだ。また、古来コプト人もパピルスの灰を歯みがき粉として重宝してきた。現在では乱獲によりかなり自生のカミガヤツリは数を減らしているみたいで非常に寂しく感じる。また紙屋以外に香料屋もカイロには数多くあり、アロマなどの視点でエジプトを見ていくのも実は非常に楽しいものである。
エジプトの香料
個人的な感覚であるが、エジプトの人達はすれちがう度にとても心地よく高貴な香りが漂う。それも老若男女や貧富の差に関係なく漂うのだ。それもそのはず、それは紀元前から香料とエジプトは切っても切れない関係であるからだ。最も有名な古来エジプトの香料の一つと言えば、デルタ地帯のメンデス市で製造され、ローマにも輸出していたとされるバラニテス。アエジプティアカの種子から抽出したバラノス油やカンラン科の樹脂ミルラなどがエジプトの香料として有名である。
エジプトでは太陽の神ラーに、香煙に乗って魂が天国へ導かれるようにと祈りの儀式に用いられてきた、時刻によって焚かれるものは決まっており、朝はフランキンセンス、正午にはミルラ、日の沈むときにはキフィと呼ばれる16種類の香りをブレンドしたものが必ず焚かれたそうだ。またミルラ同様にフランキンセンスも「死者の書」には、地上に落ちた神の汗などと言われ、心身を清め邪悪なものを遠ざけるために悪魔払いやお清めなどに、日本での塩のような扱いで使われた。古代から一般的にこういった香料を香炭に熱して、その上に香料を置いて香りを立ち込めさせて非日常を楽しんでいたのだ。
最後に
今回、植物という視点から暮らし、さらに細かく分類すると香り、食事、娯楽、宗教といった独自のエジプト文化が非常に分かりやすく肌で感じ学ぶ事が出来たと思う。植物はもちろん、人々や建造物も非常に力があり神秘的であった。このアスワン~カイロの2週間の旅は、これから植物を研究していくにあたり、いろいろと課題も残してくれた。だから、またいつか必ず、この地を訪れたいものだ。その機会が来るまで、僕はしっかりと今回の旅で見つかった課題に取り組んでいくつもりだ。
【カイロで出会った植物たち】
実は、今回のツアーは植物を目的にしたものではなかったのだが、同行させて頂いたツアーメンバーやガイドの方々には、僕が植物に没頭するあまり、心配や迷惑をかけた部分もあったのではと恐縮している。そして、僕にとって大変楽しく有意義なツアーになったのも、皆さんのおかげだと、あらためて心から感謝の気持ちを伝えたい。ありがとうございました。(了)
ハーブ王子 Profile
本名:山下智道 福岡県北九州市出身。
野草研究家・野草造園家・藻類研究家・作詞家・作曲家・ヴォーカリスト
登山家の父のもと幼少より山・自然植物に親しんだことが植物愛の基盤となり、
適格・豊富な知識と実践力で幅広い年齢層から支持を集める。観察会や、ワークショップ等、全国を舞台に活躍中。テレビ出演や雑誌の連載なども多数。著書に『野草と暮らす365日』(2018年、山と渓谷社)
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